小さなことから
これなら毎日を変えられる
(ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 マイケル・ピュエット クリスティーン・グロス=ロー 著 熊谷淳子 訳 早川出版)
大きなことは不要
・たかが子供の遊びに
子供達が遊ぶ時にする、かくれんぼ。
ただ子供達が頭を使って楽しむだけでなく、そこには大人にとっても重要な意味を持っている。
いつもと違う役割を演じることで、なんとなく続く、代わり映えのしない日常から離れ、それまでとは違う日を過ごせる可能性を持っている。
(他の遊びもそうかもしれないが)味気なく、できれば変えたいと感じている日々を、もっと良いものにできる。
今から相当昔に、孔子という人が、挨拶や礼儀作法、儀式、遊びから感情に縛られないように自分達が望む日を送れるヒントがあると考えた。
・挨拶の持つ力
出会った人同士、それがよく知っている同士、それほど親しくない人同士でも、
「おはよう」
と声を掛け合うことで、これまでとは違う日を送れる可能性を作っている。
孔子はそう考えた。
(必ずお互いにとって良いものに変えられないかもしれないが)
もちろん孔子が現れる前にも、挨拶、冠婚葬祭といったものはとっくに存在していた。
しかし、この挨拶に人とは違う意味、視点を持たせたのはこの孔子が初めてだった。
・我々が挨拶にうんざりするワケ
今まで、挨拶なんてものは、支配者、管理者側が自分達を従わせるためだけにあると私は思っていた。
(単にそれだけという者は多いのだろう。人と自分の関係性の意義を感じられない者達に孔子の狙いが分かっているとは到底思えない)
一方、理解している者同士なら、その大切さを実感して、一見面倒な挨拶でも進んで行っていくだろう。
(好意や敬意を持っている者同士なら、特段深遠な教えは必要ないとも言えるが)
自分の生活や感情にしばられすぎて決断することや、行う振る舞いが実は間違った方向へと向かってしまう危険。
自分に正直に、欲に突っ走る行為が善と思われてきた時に、それとは違う態度で事に挑む姿勢。
孔子は自分の感覚や感情に振り回されないように、物事を決めていく方法を小さなことに求めた。
あらゆるものが変化がひたすら繰り返される世界。
安定や絶対が何もない場所。
しかし、そこはいつでも自分達で変えていける所なのだ。
・サンタだって
サンタクロースが実際にいるか、どうかはこの際問題ではなく、
自分と他人達ががいつもと違う空間を感じ、味わって、特別な時間を共有することが大事。
遊ぶことや挨拶などにそんな意味があると教わった人は実に少ないと思う。
(種明かしをしてしまうことで、かえって形だけの行いになってしまうかもしれないが)
仮に一度だけでも丁寧に説明してあげれば、子供、生徒達は挨拶や儀式に意味を感じて、自分なりに行動で形にしていくだろう。
そうすることなしに力ずくで言い聞かせたり、従わせようとしてもうまくいかないばかりだ。
普段、自分達がすることの中にはこんな意味が込められているのか、と教えないのでは、聞かされている人は物事に強い関心を持たなくなってしまう。
(教える側が自分達の生活や雑務で手一杯なら)教えることを最小限にしぼっていけば良いのでは。
こういった教えや考え方は汎用性が高い。
より細かいことは自分達で意味を探し、作っていくことだろう。
・(注 この本には孔子以外にも東洋哲学を代表する人、孟子、墨子、老子、荘子が登場するが、ここでは彼等について触れることはできなかった)
(本のタイトルに”エリート”という言葉こそ入ってはいるが、この本自体無意味な難解さ、もったいぶった言い方は見つからず、それほど完読するのに苦労はしないと思う)
・補足、飲茶の意味
中国にある(というかどこでも普通に行われているだろうが)出会った人同士お茶一杯を所望する行為、飲茶。
(現在では人と中華点心をつつくことを指すが)
あの意味は、
「私はあなたがどこからきて、どこへ向かうかは分かりません」
「しかし、今は出会えたことを嬉しく思います。」
「さぁ、お茶を一杯楽しみましょう」
そんな意味が込められている(私はそう思っている)