inumeshi20’s diary

楽しみ第一の自己啓発読者

選択で幸福を

選択で苦しまないように

 

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(究極の選択 桜井章一 著 集英社新書)

 選択でラクに幸せに

 

この本はいわゆる学校的、

道徳的な正解を示してはいない。

教育義務でお決まりの結果の是非ではなく

それまでのプロセスを重視した本だ。

 

常識や人の希望より

本人主体の選択を少しでも多く

増やしてくことを挙げている。

 

著者ご本人は普通企業に勤めずに

麻雀打ちという、我々にとって極めて

特殊な世界で勝ち続け、これまで不敗を誇ってきた。

 

しかし、世間から嫌われるような生き方を

本人は推しているわけではなく、

現在の(この本では2018年)

過酷すぎる社会人の立場や苦境を

良く理解して、様々な質問に

包み隠さず答えている。

 

質問はかなり多く、30以上ある。

 

例えば、

 

”地球で最後の一人となったらそれは人間と言えるのか

 

というお題に、

 

現在では進んで人との関わりを避けてる人が多いが、

その人々は無人島で生きているようなものであり、

そういう人々は極端に自分の否定な部分を嫌っているがために

現在の社会との交流を断っている。

自分の否定したい部分に、ある程度肯定できる部分を

探すことが大事だと主張している。

 

”人は差別をなくして生きてはいけないか?”

 

という問いに

 

差別は単に「自分は他人より優位に立ちたい」

という、誰もが思いつく優越感だけでなく、

自分の安全や存在を脅かすためにしてしまう、という指摘。

 

自分の安全範囲を侵す危険のある存在を

無意識に排除しようとする恐怖から来ている。

 

我々は自分達が平均の清潔感と

エチケットを持っているなら、

ひどく汚らしい人達を嫌がり、

何も言わずに距置を置く。

(よほど偏見のない人は別にして)

 

こちらが嫌がっているのに

向こうからやって来たら

露骨に拒絶するはずだ。

 

(この場合はマナーがなっていない

人物が、まず責められるべきだが、

差別はいけないというルールなら

何よりも拒絶が非難される)

 

つまり人が生きていく上で

必然的にしてしまうことなのだ。

誰もが自分は無関係とは言えない。

 

「いじめや差別はいけない」という

どこでも見かける学校的、道徳的回答では

こうした狂気をなくすことはできない。

 

誰もが持っている暗い部分と受け入れ

共に生きていくしかないようだ。

 

このお題にお手本になりそうな解決法の例は、

桜井章一氏の主宰する「雀鬼会」という

雀荘のコミュニティー内に、

世間では性格、感覚的に避けられそうな

人々も結構いるらしい。

 

ただこの集まりは異質な人々を

排除しようとはせず、積極的にメンバーの輪に加え

彼等の個性を尊重して新しい喜びを分け合う

という理想的な交流をメンバー同士で行っている。

(主催者の桜井氏の考えや理念の影響もあるだろうが)

 

もちろん、誰もがこういった前向きな

解決策を行使するわけではないが、

この本を見てそうしようと決意する者もいるだろう。

 

最強麻雀打ちとして、メディアでもよく取り上げられてきた側面もあるが

それとは別に、桜井氏の他人に対する真摯な態度に好感を持つ者は多い。

年齢から来る落ち着きや成熟した姿勢もあるが

作者の昔からの考えや哲学は(本人は嫌がる言葉だが)

読む人の心をリラックス、余計な心配や不安を

和らげてくれるだろう。

 

他には

”人の肉を食べないと生きていけないとしたら”

 

”死ぬ確率が高いスポーツで1億円もらってするか”

 

”仕事にやりがいを求めるのは正しいか”

 

と言ったなかなか答えにくい、きわどいモノもある。

 

繰り返すが、作者の選択と読者のそれらを答え合わせや、

一方的な作者から読者への服従、賞賛を強要しているわけではない。

(そもそも世代的に問題も選択も開きがでるはずだ)

自分ならこうする、常識や伝統を必要なら無視したり、

逆を行ったりして、その都度、自分の思うような選択をして

自分の人生の方向を決めて欲しいという作者の希望である。